終活
目的や内容は様々ですが、高齢者が行う以下のような活動は「終活」(人生の終わりに向かってする活動)と呼ばれます。
自分が死んだあとのことを自分でするのは不可能なため、
死を意識することで生をより強く意識し、残りの人生を有意義に過ごすため、
・過去を振り返る。
・やりたいことをリストアップする。
・終末期医療・介護についての希望や望まないことを整理する。
・葬儀や埋葬について希望を整理する。
・遺された人の負担にならないように予め後片付けをする。
・遺産(相続財産)の扱いについて希望を整理する。
家族・親族や地域の連帯もしがらみも緩くなり、自分が死んだ後のことも含めて「自分らしくありたい」、「人に迷惑をかけないように」といったことを考える傾向は今後も強くなっていくものと思います。
親の認知症が進行していることに危機感を感じた子供が対応を促す場合や、自治体等が身寄りのない方のこうした活動を支援する場合等は事情が異なりますが、(子や孫への親心や迷惑を掛けたくないという配慮なども含め、)本人が自分の安心や幸せのためになると思える範囲で取り組めばよい、というのが当事務所の認識です。
ただ、関心が高い一方で、決まったやり方がなく、各業者のサービス内容や価格も玉石混交の分野であるため、本質的なポイントを十分に理解してから取り組んで頂きたいと感じます。
- いつ死ぬか、どのように死ぬか(どのように衰えていくか)はわからない
- お金と違って、時間や健康をとっておくことはできない
- 死後の希望等を書き遺した場合、それを実現する時に本人はいない
元気なうちから少しずつじっくりと取り組んだ方が、満足感が得られやすいと思いますが、元気なうちは、人生の終わりがいつどのようにやってくるか、ほとんど分かりません。
いずれ介護が必要になったら自宅をリフォームしようか子供と同居しようかと悩んでいても、心筋梗塞等で急に亡くなったり、本人が元気なうちに子の介護が先に必要になったりするかもしれません。
年金等の収入が大きく変動することは考えにくいですが、健康状態等によって生活費は大きく変動します。また、収入と支出の金額が一致していない限り、使えるお金の総額(遺産の予想額でもある。)は変化し続けるのが当然です。
様々なパターンを想像したり、家族で話し合ったりしておくのは大切ですが、あまり早くに結論を出して、具体的な行動に移す(予約したりお金を払ったりする)のも考えものです。状況の変化に合わせて修正できる柔軟さの重要性も忘れないでください。
「若いうちと違って働いて収入を増やすことが出来ないから、なるべく支出を減らして、長生きしても困らないようにしよう」というアドバイスはよく聞きますが、美味しいものを食べたり、きれいな景色を見たりするには、お金や時間だけでなく、ある程度健康であることも必要です。
今、好きなこと・楽しいことは、自分や周囲の人達の現在の状態を前提として好き・楽しいのであって、将来も同じとは限りません。
病気やケガをしてリハビリ中であるとか、介護や孫の育児のために時間的に拘束されている様な場合は別として、一般的には、今より将来の方が選択肢が広がることは考え難いように思います。※
そのため、「あの世まで持って行けるわけではないのだから使えるうちに使っておこう」「児孫のために美田を買わず」という感覚もあって良いと思います。
※介護等に関わる人達は、本人の置かれた環境や残存能力を踏まえて如何により良く生きてもらうか、出来ること増やすためにどんなサポートができるか、に心を砕いていると思いますが、身体的・精神的に衰える前の方ができることが多いことは事実だろうと思います。
もちろん、選択肢が減ったからといって満足感・幸福感まで低下するわけではありません。身体的・精神的機能が衰えている割合の高い超高齢者の方が幸福感が強いとも言われています。
延命措置のような終末期の医療・介護のこと、葬式やお墓のことなどは、エンディングノートに書き込むだけでなく、家族や知人等、それが必要になった時に現場にいるであろう人に気付いてもらわなければ、また本人の意思として受け入れてもらえなければ、実現できません。
また、遺産の分け方や遺産の寄付のことなどは、「遺言書」にすると本人の意思が法的に保護されますが、話したりエンディングノートに書き込んだりしただけでは、遺族の判断に委ねられることになります。
遺族が本人の遺志を尊重してくれるか分からない場合には、具体的な手続きをする人を決め権限を与えておいた方が確実ですが、それを遺族がどのように感じるかといったことにも思いを巡らせる必要があります。
さらに、1番目の注意点に書いたとおり、自分自身の状況が変化すれば死後の希望等も変わる可能性があることに留意してください。