投資や資産運用をする目的は、基本的に資産を増やすことです。
資産を増やす必要を感じない人は投資をしようと思わないでしょうし、儲かりすぎて困る人もいないと思います。
しかし、増やした資産をいつ・いくら・どのくらいの確率で使うのか、お金が足りない場合にどうするか・どのくらい困るか、といったことは人それぞれ異なります。そのため、少しずつでも着実に増えて欲しいとか、大儲けできる可能性に賭けたいとか、投資スタンスは人それぞれに異なることが自然です。
また、こっちのお金は着実に、あっちのお金は大胆に、と運用のスタンスを分けて管理することも考えられます。
投資とは、商売や事業にお金を出して、その商売・事業で生み出された価値を分け前としてもらうようなもの。
つまり、「機(チャンス)」に賭けるのか、「資(資本:生産能力、事業の元手)」としてお金を出すのか、そのリターンの源泉が異なるということです。
新商品がヒットすることを期待して会社の株を買う人はたくさんいるし、惰性で宝くじを買うような一見すると経済合理性に欠ける行動でも、結果的に当たれば資産は大きく増えます。立派な理論に従って投資して、結果的に資産が減るよりもきっと幸せなはずです。
投機をお勧めできないことは、儲けられないという意味ではないのです。
※以下、「投資」という言葉は、特に断らない限り、投機の概念を含んだ言葉として用いることにします。
重要なことは、長期投資とか分散投資とかの手法・テクニックの知識よりも、リターンの源泉が何であるかを理解・納得して投資することだと考えています。
なぜなら、リターンの源泉を理解することは、そのリスクを理解することとほぼ同じことだからです。
実際にはとても難しいことですが、本当にリスクに納得して投資をしたのなら、損失が発生しても受け入れられるはずです。
| リターンの源泉(その1):普通預金と定期預金の金利差 |
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普通預金より定期預金の方が金利は高くなりますが、これは、①預金者が、一定の期間は引き出せないという不自由を引き受けることや、途中で引き出そうとすると利息が全く付かないかもしれないリスクを負うことと、②銀行が一定の期間は安心してそのお金を企業等に貸し出し、収益を上げられるという期待等とがバランスする金利水準が、いつでも自由に引き出されてしまう普通預金よりも高くなるからです。 |
| リターンの源泉(その2):債券と株式 |
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企業にお金を渡すという意味では、債券による融資・貸付と、株式による出資とは同じですが、その性質は大きく異なります。
そのため、債券投資はローリスク・ローリターン、株式投資はハイリスク・ハイリターンとされます。 |
預貯金、債券、株式、不動産、金、仮想通貨、為替(FX)、投資信託、保険など、投資の対象(資産運用のフィールド)は数え切れないほど存在します。
その全てを把握することは困難であり、何に投資するのが最も良いか判断のしようもありませんが、以下のような傾向があると考えられます。
こうした傾向からは意外な結論が導かれます。
すなわち、例えば株式投資では、あまり知識のない人ほど市場原理に守られる(他の参加者が妥当と考えている価格で、安い手数料で購入できる)というメリットがあるのです。
(反対に、未成熟な、参加者が限られた、情報の乏しい市場ほど、他の人が気づいていない一獲千金のチャンスが埋まっているという考え方もできます。)
需要と供給の関係で価格が決まる程度の流動性(市場規模)があること等の条件を満たす必要はあるが、情報について効率的な(情報が直ちに広がる)市場では、資産価格にはその時点で利用可能なあらゆる情報が反映されていることになるため、自分が得た情報によって他の市場参加者より良い結果(リスクに対応したリターンを超えるリターン)を得ることはできないことになる。
もちろん、現実には効率的市場仮設が完全に妥当するわけではないが、投資のプロでない人がこの結論を無視することには危険が伴う。市場の将来見通しと自分の将来見通しが異なり、市場で形成された価格が安い・高いと感じる場合、見落としている情報がないか、情報の解釈を間違えていないか等を振り返る謙虚さが必要かもしれない。
以上のようなことを踏まえると、少なくとも長期的・安定的な資産運用には、投資先で付加価値が生み出され、投資家がその分け前を受け取っていることが明確に分かる投資対象を選ぶことが無難と考えます。
金、仮想通貨、外国為替(FX)のように、それ自体が価値を生み出すわけではないものに投資する場合は、投資対象や売買のタイミングを見極めることによって(投資する人の力で)利益を生み出さなければなりません。一方、企業に融資(債券を購入/銀行に預金)したり、出資(個別株、投資信託、ETF等を購入)する場合は、企業が事業によって価値を生み出してくれれば、投資する人の能力とは関係のないリターンが期待できます。
投資の方法は様々なものがあり、投資対象によっても相性があると考えられます。
値動きがリターンの源泉であり、その意味では、倒産間近の赤字企業でも、付加価値を生み出さない外国為替でも、投資対象として問題ありません。
資産を保有した状態(ポジション)を翌日に持ち越すことは大きなリスクと考えます。
仮に、投資先で付加価値が生み出され、投資家がその分け前を受け取っていることが明確に分かる投資対象を選んだ場合には、長期・積立・分散投資が一般的に推奨されています。
これは、以下のような効果を期待するものです。
つまり、投資先で付加価値が生み出され投資家がその分け前を受け取るような投資といっても、
・その前提が崩れる(赤字決算、倒産)
・生み出される価値の見込額が減少する(業績見通しの下方修正)
といったことがあれば、株価等の資産価値の減少(キャピタルロス)の影響が、配当金等の分け前(インカムゲイン)を上回り、全体としてマイナスのリターンとなる可能性もあります。
そのため、特定の企業や売買タイミングに限定せず、銘柄や時間を分散させて投資対象や売買タイミングの影響を排除する工夫も重要だということです。
つまり、分散投資(資産分散・時間分散)は、「大きく勝つ可能性を減らしてでも大きく負ける可能性を減らす」という無難な選択であって、リターンを増やすテクニックというわけではないのです。
どちらも、多くの人に投資をして貰おうと用意されたお得な制度であり、無理もない反応だとは思いますが、これらの制度の本質は「投資で儲かった場合に通常発生する税金を免除してもらえる枠組み」と理解するのが良いと思います。
投資初心者が最も心配するのは「そもそも儲かるかどうか」であって、「儲かった場合の税金を安くしてもらえるかどうか」ではないことが圧倒的に多いので、儲けが出た場合をスタート地点にして、「お得な制度のどちらを使うか」から考え始めるのは極めて不自然であることを認識して欲しいと思います。
もちろん、約20%の税金が掛かるか否かは運用成績に非常に大きな影響を及ぼすのですが、それ以外に考慮すべきことは多くあるはずです。
確定拠出年金は、働いて給料を得ることが出来なくなった老後の生活資金を若いうちから準備しておくための特別なお財布(専用勘定)であり、たとえ自己破産しようとも、老後になるまではお金を出すことが出来ません。
また、年金という名前ですが、一時金で受け取ることも可能であり、いつどのように受け取るかによって税金の掛かり方が異なるため、その判断も悩ましい問題となります。
厚生年金・厚生年金基金・企業年金等の他の年金制度の恩恵を受けられる人については、iDeCoの拠出限度額が低く設定されています。
個人型の場合、経済的な余裕がなくなって拠出を止めたとしても、口座管理等の手数料が掛かり続けますし、手数料が定額のため、毎月の拠出額を小さくすると手数料率が相対的に高くなってしまうことも留意点です。
この複雑な制度の全体を理解することは決して容易ではなく、かといって無視できるほど些末な問題でもないのが厄介なのですが、超長期間に亘って、運用益が非課税になったり、拠出額が所得控除(小規模企業共済掛金等控除)できたりするのは非常に魅力的です。
NISAは、小額投資非課税制度という名前のとおり、投資による所得が非課税になるというシンプルな制度です。
この拠出限度額を「少額」と感じる人にとっては、そうでない口座との使い分けという悩ましい問題が生じます。しかし、そのように感じることの出来ない多くの人々にとっては、口座管理料等が請求されず、投資信託等を購入するか否かも売却・出金のタイミングも制限されないNISAは、気軽に始めても問題が生じにくい制度です。この点こそ、年金であるiDeCoとの最大の違いと言っても良いかもしれません。
一方、退職金・相続財産等のまとまった資金を追加投資する場合や、ある程度まとまった預貯金を元手に投資・資産運用を初めて行う場合は難しい問題が生じます。
それは、まとめて投資するのは直後の値下がりが怖いし、積立てで投資すると予定した資金を全て投入するまでの機会損失(一括投資していれば得られたはずのリターンを得られないという損失)がもったいないというジレンマです。
この点については、投資しようとする人のリスク許容度や好み、投資対象のリスク特性、経済情勢や相場観などを踏まえて、投資の金額やタイミングを調整します。
ただ、投資初心者のリスク許容度を判定することは非常に困難であるため、分かり易いいくつかの投資対象にお試し投資をするようにお勧めすることが多くなります。
(キャッシュフロー表上、資産構成上の適正水準は計算できても、値動きに心乱されるというような心理的な意味でのリスクの適正水準は、実際に投資を体験してみないと掴めないという意味で、判定が困難。)